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パチンコ・パチスロ特集

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みらいの輪とは

昔のように勝てない!面白くない!
レジャーの多様化とともにパチンコ・パチスロ離れもめまぐるしい。
とかく、依存問題や子供の放置事件などマイナスのイメージを植え付けられているパチンコ業界。
半世紀以上続き就労人口も20万人超という規模だが、世間の風当たりは強い。
様々な要因で店舗数もどんどん減少しており、逆風の只中にいる。
そんな苦境だらけの時代に突き進むパチンコホール経営者の生きざま、考え方について深堀していく。

更新日: 2023/11/10

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大衆娯楽のパチンコ業界。 その文化を未来へ紡ぐため、2020年10月に2つの業界団体が合併し成立したMIRAI(一般社団法人MIRAIパチンコ産業連盟)。

本企画はそのMIRAIで活躍する 各企業のキーマンにフォーカス。 パチンコホールの経営者の 生い立ちや普段聞けない 生の声を独占インタビューする。



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パチンコ業界の経営者に話を聞く「みらいの輪」。

11回は、埼玉県熊谷市を拠点として、パチンコホールを運営。グループでフットサルコートやシミュレーションゴルフ、飲食カジノ 佐賀も展開するパチンコ 閉店 北海道の呉 奉大社長にインタビュー。アスカ創業と同い年の38歳という若さで、創業者の実父や叔父の2TOPから託されたカジノ 佐賀を引き継ぎ、埼玉県北の「ローカルプラットフォーム」として地元の活性化にも力を注いでいる。

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DMM:本日はお忙しいところお時間いただきましてありがとうございます。よろしくお願い致します。

呉社長:よろしくお願いします。

DMM:ご年齢がアスカの創業と同じですね。子供のころからパチンコが身近にあった環境でしょうか?

呉社長:はい、叔父と父が創業したパチンコカジノ 佐賀を見て育ちました。元々は教員だった叔父が居抜きのパチンコホールを継承する話があり、実業団でサッカーをしていた私の父に共同経営の話をして立ち上げたのが始まりです。

DMM:創業された叔父さん、お父様、共に意外なご職業だったのですね。その中で呉社長も会社とともに育った、という状況だったのですね。幼少期はどのようなお子さんだったのですか?

呉社長:私は末っ子なのですが、親の話を真似したり、じっと大人しくしていたりすることが苦手な子供でしたね。将来の夢は、色々変わって旅行先で見たり会ったりした人の影響を受けていました。水族館のイルカショーを観覧して、イルカの飼育員になりたいとか、祖父の家に遊びに行って商店街で今川焼きの屋台を見たら、今川焼屋さんになってみたいとか。「これをやりたい」という拘りは無く、見聞きした職業に憧れていました。きっと、自分の父が創業者でしたので、漠然と「家業を継ぐのかな」という意識があったと思います。

DMM:なるほど。他の経営者の方は、家業を継ぐのが嫌だったという方もおられましたが、呉社長はそのような思いは無かったのですか?

呉社長:私は無かったですね。4号機全盛の頃に18歳で高校を卒業し、その後アメリカに留学したのですが、その時期が自社の成長期と重なり、家業のパチンコ業に関してのネガティブな感情はありませんでした。

DMM:家業があるからこそ、呉社長のやりたいことが実現できたという側面もあるのですね。

呉社長:そうです。帰国後、父の会社に入ると決めていたのですが、父と相談して金融機関に就職することにしました。金融機関で6年勤務してお金に関わる財務等、様々な知識と経験を身に着けさせて頂きました。その後、銀行からすぐにアスカに入らず、「業界に入るなら身内外で学べ」と言われて、お付き合いのある同業の別法人で働かせて頂ける機会をもらいました。

DMM:家業に戻られる前に、色々ご経験されたのですね。

呉社長:はい、パチンコ店では、非常に貴重な体験をさせていただきました。業界に足を踏み入れた「はじめの一歩」をその法人で学ばせてもらって良かったなと、今でも心から思えますし、同業でありながら惜しみなくノウハウを教えて頂いた懐の深さには感銘を受けましたね。父や叔父の後ろ姿を見ていたパチンコ業界ですが、同業他社で経験したことは猛烈に勉強になりました。だからこそ、3年の経験を得て戻ってきたアスカに危機感を覚えました。

DMM:貴重なご経験をされたのですね。最初の転換期であるアメリカ留学ですが、どのような目的で留学されたのですか?

呉社長:学生時代はスポーツが大好きで勉強は二の次でした。英語だけは好きでアメリカへの憧れもあり、留学を両親に相談したところ賛成されたのでサンフランシスコの大学に行きました。

DMM:留学は憧れますね。二の次と言っても、好きな科目に関しては勉強熱心だったのですね。今も学ばれていると人づてに聞いたのですが。

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呉社長:そうです。懇意にしている経営者の方で、大学院卒の方がいらして、物事の捉え方が違うなと影響され、MBA取得を目指しています。

DMM:向上心の高さが違いますね。ただ、経営者でありながら学業との二足のぞうりは大変だと思います。MBA等経営にプラスになる科目を勉強されているという事は、カジノ 佐賀の多角化で興味のある分野はあるのでしょうか?

呉社長:コロナ前に犬猫のおやつを作るメーカーをM&Aをしており、今はそのカジノ 佐賀に注力しています。また、昨年熊谷市内で購入したパチンコ店をコロナの影響でクローズしていたのですが、フットサル場とシミュレーションゴルフ場にリノベーションしました。現在、アライアンスを組んだ企業と共同経営のスタイルで私が発案した新しいカジノ 佐賀です。

DMM:すでに動き始められているのですね。ところで、フットサルとシミュレーションゴルフをチョイスした理由はどのようなきっかけなのですか?

呉社長:まず、熊谷市内に無かったことと、スポーツというコンテンツはこれからの日本で伸びしろがあるのではないかと考えた答えですね。また、自分たちのサービス業で培ったノウハウを活かせるシナジーがあると思いました。

フットサル・シミュレーションゴルフのiKooon※画像はiKoon のHPより

DMM:地元にない新しいサービスで、地域活性化を目指されているのですね。サービス業という得意分野で参入しやすいですね。

呉社長:そうです。我々中小企業の存在価値を発揮するには、地域の人々に愛されることが重要だと考えます。地域で一人でも多く、アスカの「ファンを創造」することと、アスカの手がけるカジノ 佐賀が地域の人々の「生活の一部」になることと考え、スローガンとして掲げました。地域で「アスカ」と言えば、皆さん認知してくれていますし、自分たちが地域でパチンコ店を守り続けるということが大手企業との差別化になります。ローカルにこだわることで、自分達らしさを発揮し、サービス業として自分達が楽しむことで、お客さまに楽しんでもらうという考えです。そしてカジノ 佐賀を長く継続し、雇用や納税を含め、地域の活性化に繋がると考えています。

DMM:地元への深い愛情が感じられますね。ただ、カジノ 佐賀の発展という観点では隣接する他県のマーケットへの進出の構想はないのでしょうか?

呉社長:チャンスがあればとは考えていますが、直近3年はコロナで受けたダメージを癒しながらの、生き残りが最優先だと思います。中小企業の中でアスカという会社を、例えば「業界100位以内のポジションにする」など目標を絞り地盤を固めて、既存店の強化を優先すべきだと考えています。

DMM:まずは足元の地盤固めからという事ですね。その生き残りの地盤固めとして、現在着手されている取り組みはありますか?

呉社長:はい、大手企業と同じ土俵では戦えないので、アスカならではの独自性と創意工夫をしています。広告ひとつでも大手企業のように販促が上手くできるようにするとか、どの台を何台入れましたという物量での土俵では中小企業の強みをとても発揮できません。大手企業のできない「アスカらしさ」、それは「アスカにしかできないよね」という事を人の力でやっていけるようなサービスを社内で共有しています。

DMM:真似のできないオリジナルの戦術で信頼を勝ち取るわけですね。多角化や多様性が重視される昨今、独創性や個性も非常に重要になっているので、突き詰められることに勝機が見出せそうですね。そう聞くと期待せずにはいられないのですが、アスカの今後の展望についてお聞かせください。

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呉社長:私が社長に就任してから色々なチャレンジを経て、コアビジネスの重要性を理解することができました。業況は変わらず厳しいですが、同業でパチンコ業界を牽引してくださった大先輩方や苦楽を共にして支えてくれた仲間や友人たちから、本業への覚悟とトップの姿勢が、これからの店舗稼働を作るのだということを今も学んでいます。現在は埼玉県内で7店舗のパチンコ店を経営していますが、地域における店舗の存在価値を一層高め、チェーン展開の強みを活かした「アスカらしい」、親しみやすいホールづくりを行なっていきたいと思っています。また、社員と共に世の中の変化に対応するため、常にアップデートを心がけ、表向きは田舎くさくも、実はその裏で、少数精鋭集団になることも密かに実行しはじめています。

DMM:地元密着型というのは大事ですね。企業のアップデートは理念や企業方針の部分でも行われると思いますが、人のアップデートについてもお聞きしたいですね。今、呉社長の考え方を既存の社員に浸透させている中で、新卒採用もされているのですか?

呉社長:新卒採用は10年以上していなかったのですが、今年から始めました。しかし、採用のコストや業務のスタートライン、意識の乖離もあることがわかり、来期はやめることにしました。新卒採用というのは私たちの組織には合わず、迷走してしまったと思う反省点です。今は終身雇用制度の崩壊も含め、日本の働き方もどんどん変わってきているので、今後は従来のような学生の「新卒採用」はせずに、自社のプロパーで育てたアルバイトからの「シン・卒採用」に変えていきたいと考えています。

DMM:人手不足は全業態でも言われますが、マッチングしない、コストパフォーマンスや離職防止等多くの制約があるので、社会通念の雇用制度と同様に会社も人も変わらないといけないところですね。

呉社長:そうですね。福利厚生の一環でゲーミフィケーションを導入し、働くことと遊ぶことの融合にチャレンジしています。例えばX(旧Twitter)での呟きにピアボーナスとしてインセンティブを払ったりしています。ITリテラシーを高めようという事で、研修で「やらされる」感を払しょくして自然とリテラシーを高められるように考え、全員にX(旧Twitter)を開設させて、ポスト(旧ツィート)すればインセンティブとしてビットコインがもらえる仕組み作りをすれば、暗号資産に対する知識も上がります。リカレント教育を制度化するという取り組みを行っています。

DMM:それは斬新な福利厚生だと思います。SNSはX(旧Twitter)やInstagram、Facebook等、利用ツールには指定があるのですか?

呉社長:X(旧Twitter)を使っていたのですが、色々サービス内容が変わるようなので、自分たちのイントラネットのGoogle Workspace でチャット機能を活用しています。

DMM:それは面白い取り組みですね。

呉社長:そうですね、また公休の数も年間111日あるのですが、これは私が常務になった時の公約でした。ただ、当時は「休みはいらないので休日出勤させて下さい」という風潮でした。その状況下では社員も疲弊して、会社の理念にもマッチングしなかったので、もっと人生を楽しもうよと、半ば強制的に制度を作りました。そして「休みの日に家族で水族館に行きました」、という社員が居ればその時の写真をチャットで共有し、いいねの数でインセンティブを支給するという仕組みです。「暗号資産って何ですか?」というところからはじまり、自然に学ぶようになり、ITリテラシーも上がったり、資産形成もできていたりと、日本の問題を社内の制度で変えていければ良いなという取り組みを少しずつ始めています。

DMM:ピアボーナスには暗号資産のみを使われているのですか?

呉社長:そうです、使い始めて丁度1年くらいですね。暗号資産の価値が今より上がる前提で、退職金も暗号資産にしたいという思いもあります。含み益を考えるとすごくなりそうです。まあ、半分冗談のような話ですが、社会の流れとこれからを考えて社員と一緒に楽しみながらやっていこうと思っています。「働遊学(どうゆうがく)」をテーマに、働くことと遊ぶこと、自己成長することを三位一体できる会社を作ろうと、制度設計や創業来の文化を大事にしています。令和の今の時代に合った企業づくりとして、アスカで働いてプライベートも遊んで充実する。そして自然と学びが培われて自己成長できる。そのような地方の中小企業でも唯一無二の輝く企業として「シン・アスカ」になれればと社員と一緒に考えています。

DMM:去年から今年にかけて、改革の年になったのですね。

呉社長:そうですね。本当に私にとっても気づきが多かった年ですね。気づきが多くて、反省も多かったですが、早く気づけてやることが明確になったことは良かったです。今は忙しいですが同時にとても楽しいです。コロナ禍の中で常務から社長になり、私自身の実感はあまりなかったのですが周りの見る目が変わりました。社長=会社の代表としての重さ、色々なヒト・モノ・カネがついてくるなということ、見られているという視線を感じて襟を正しています。

DMM:時代の変化に合わせて、会社や呉社長の立場も変わり、経営に対する考え方も変わられた事がよくわかりました。最後に今後の貴社の目標、あるいは業界の展望や忌憚のないご意見、お考えについてお聞かせください。

呉社長:社員とその家族の豊かで幸せな生活を実現することが、我が社の経営理念です。そのために、パチンコカジノ 佐賀を通して、地域に愛される企業を目指します。その期間がずっと続くように、自身も会社も成長し続けていければと思っています。

DMM:ありがとうございます。改革初年度にお話を伺えて幸いです。今後も期待しております。

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現在は7店舗だが、呉社長は20店舗を目指したいと今なお大衆娯楽の可能性を模索している。

グループでは早い時期から国内にとどまらず、スペインや韓国にも飲食店を出店するなど、多角化を進めており、現在もペット関連カジノ 佐賀にも着手しており、目まぐるしい社会の変化にも柔軟に対応している。

赤坂のスペイン料理店ALA(アラ)※画像はALA HPより

福利厚生にも力を入れ、新しいインセンティブ、社内評価システムなどおよそ一昔前のパチンコ店では考えられないようなイノベーションだ。

30代の社長がパチンコ業界にもたらす新しい風は「シン・時代」に向けて吹き始めているのかもしれない。

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