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パチンコ・パチスロ特集

埼玉 県 パチンコ 優良 店

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みらいの輪とは

昔のように勝てない!面白くない!
レジャーの多様化とともにパチンコ・パチスロ離れもめまぐるしい。
とかく、依存問題や子供の放置事件などマイナスのイメージを植え付けられているパチンコ業界。
半世紀以上続き就労人口も20万人超という規模だが、世間の風当たりは強い。
様々な要因で店舗数もどんどん減少しており、逆風の只中にいる。
そんな苦境だらけの時代に突き進むパチンコホール経営者の生きざま、考え方について深堀していく。

更新日: 2024/01/29

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大衆娯楽のパチンコ業界。 その文化を未来へ紡ぐため、2020年10月に2つの業界団体が合併し成立したMIRAI(一般社団法人MIRAIパチンコ産業連盟)。

本企画はそのMIRAIで活躍する 各企業のキーマンにフォーカス。 パチンコホールの経営者の 生い立ちや普段聞けない 生の声を独占インタビューする。


沖 宗也 代表取締役社長

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パチンコ業界の経営者に話を聞く「みらいの輪」。

第13回は、1970年に愛知県に創業、発展途上のパチンコ業界にチェーンストア理論を取り入れ、90年代にはローコスト店舗の開発やパチンコ業界では2番目に労働組合を結成。世襲制が当たり前と思われていた業界で、非血縁者の社長就任など業界の常識を覆してきた革新的な経営を推進した夢コーポレーション。同社で新卒から初めての社長となった沖 宗也社長にインタビュー。

DMM:本日はお忙しいところお時間いただきましてありがとうございます。よろしくお願い致します。

沖社長:よろしくお願いします。

DMM:早速ですが、沖社長の子供のころの夢や、夢コーポレーションに入社されたきっかけ、パチンコとの関わり等プロフィールを教えて下さい。

沖社長:はい、私は1973年2月8日、愛知県生まれで、父の影響を強く受けました。父が電電公社(現NTT)で母が市役所勤務という公務員一家でした。当時、父が勤務先の電電公社でサッカーチームの監督をしており、その影響で私も小・中・高校生とサッカー漬けで毎日夢中になっていましたね。中学生の頃は将来学校の先生になりたいと考えていました。

DMM:なるほど。サッカー選手ではなくて学校の先生ですか。公務員への憧れはご両親の影響ですか?

沖社長:公務員というよりは、先生になりたいという気持ちが大きいです。人にものごとを教える事が好きでしたので、それが先生という職業への憧れです。クラスメイトに質問されて、答えること、そしてその答えや説明を理解してくれる姿を見ていると楽しく感じました。

DMM:自分が問題を理解して解いていく楽しみよりも、人に教えて理解してもらえる方が楽しく感じられたのですね。

沖社長:そうですね。あとは早く自由が欲しかったという願望は強かったですね。大学生の頃に親元を離れたくて、学友とルームシェアをはじめて、3人で3DKの部屋を借りました。ただ、学校と実家が近いので、親からの援助が受けられず、当時はアルバイトの家庭教師で、なんとか生活していました。お金が無いのでキャベツの千切りに塩をかけて食べたりしていましたね。生活が厳しい中である時、街で見かけた求人看板に「3食つきで、時給1200円」と書いてあり、「これだ!」と思ったのがダイエー観光(現、夢コーポレーションの旧社名)でした。
パチンコの経験は、その看板を見る前に友人に連れて行ってもらってハネモノを一度経験しただけでしたが、すぐに面接に行きました。とにかくお金も無い状況で、働けば3食を食べられると思い「明日からでも働けます」とアピールしました。その時はとにかくキャベツ生活を早く抜け出したい一心でしたね。
経験や知識もほとんど無かったので、面接時に「ダイエー観光はあの大手スーパーマーケットのダイエーの系列ですか?」と真顔で聞いてしまいました(笑)。もちろん「そんなわけないだろ」と怒られましたが、今思いかえすと忘れられないエピソードですね。

DMM:確かに面白いエピソードですね。知らないと名前で勘違いしてしまいますね。アルバイト生活は長く続けられたのですか?

沖社長:その後アルバイトは通算5年勤務しました。当時は週1日が店休日で、朝8時から夜の11時半までの勤務も全然苦ではなく、社員よりも給料は高かったです。ただ、大学の単位取得も大変でした。アルバイト三昧な事を親に知られてしまい、とうとう親から呼び出しされてしまいました。当然、怒られると覚悟していたのですが、「ちゃんと卒業しろよ」と、言われただけでした。激怒されたり説教をされるより、親と食事してそのひとことだけ言われたことが心に沁みましたね。その後はどのようにしてアルバイトを続けながら、効率よく単位を取れるかに集中してお金を稼いでいました(笑)。


DMM:ご両親も心配される中で、グッと我慢して信じていたのかもしれないですね。卒業後はそのまま当時のダイエー観光に就職されたのですか?

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沖社長:はい、他の企業も視野に入れて就職活動はしましたが、どうしてもホールの店長になりたくて。入社を決めた時には店長になると決めて入りました。その前に母親も公務員でしたので、公務員試験を受ける話もありましたが、「店長になる」と決めていたので、面接も行かずにダイエー観光に決めました。実際に働いて、色々見ているうちに自分が店長になり、きちんと仕事をしている人を公平に評価できるようにしていきたいなと思っていました。

DMM:お若いうちから志が高かったのですね。当時はまだホール業界も新卒採用の黎明期なのかもしれませんが、沖社長は当時のダイエー観光では新卒入社3期生ですね?

沖社長:そうですね、新卒入社3期生ですが年齢は1期生と同じです。アルバイト時代からトレーナーとして新卒を教えていました。

DMM:アルバイトの方が新卒を教える風土というのもあまり聞き馴染みがないですが、予想外の展開ですね。

沖社長:ずっと通しで5年間フルに働いていたので、誰よりも仕事が理解できていましたから(笑)。

DMM:お店の隅々まで知り尽くしていたので頼りにされていたのですね。志望動機は貢献している人が報われる職場にしたいという想いで働いて、今は経営者の立場となってその想いを全社に浸透されているわけですね。

沖社長:そうですね。それがベースでありポリシーです。例えば、それは雇用形態による職位でも同じで、以前は弊社も「アルバイト」と呼んでいましたが、今は「準社員」と呼び方を変更しています。私は「アルバイト」であっても「社員」であると考えていて、お客様からすれば従業員で「正社員」も「準社員」も関係ないと思っています。ホールで貢献してくれるのは「ホールスタッフ」です。正社員の方が偉いというような話が出るケースがあると私は「それは違うだろう」と言います。たまたま個々の事情で早番、遅番ができない、あるいは転勤ができないという事情で「アルバイト」として働いてるという方も、同じパフォーマンスで働いてくれるのであれば同じ給料を払うべきだと私は考えています。

DMM:ありがとうございます。そこで職位や立場が違えど評価されればモチベーションも維持できますね。大変共感できる考え方だと思います。沖社長の原点を知る事ができました。

沖社長:いえ、たいしたことではないです。当時の私が、がむしゃらに働いていた本音は、キャベツ以外のものを食べたかっただけです(笑)。

DMM:学生時代のお金が無いという状況はとても親近感の湧くお話ですね。店長になる、評価制度を変えたいという熱い想いで入社されてから、沖社長が印象に残るエピソードや感銘を受けたことを教えてください。

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沖社長:色々あるのですが、特に印象的な事としては社内史上、一番降格していることです。

DMM:降格ですか⁉

沖社長:はい、エリアマネージャーになったのが28歳頃で当時では最速・最年少での昇格でした。そこから1年くらいで、一般社員と変わらないくらいまで年収が下がりました。エリアマネージャー時代の年収の半分以下ですね。その降格理由は当時の営業役員とぶつかったことが原因です。その方の前任の営業トップは、加藤前社長だったのですが、加藤前社長の言葉や考え方にとても共感していました。その時のスローガンは「ESが先・CSが後」でした。つまり「社員満足度を上げ、顧客満足度を上げる」という考え方でした。私も本当にその通りだな、と感動して日々邁進していたのですが、人事異動があり、営業のトップが代わり、方針が粗利重視へと変わっていきました。社員・顧客不在の方針に納得できない私は、その役員に「お店はATMじゃない!そんなにお金を自由におろせない!」と発言してしまったのです。もちろん、私の発言に役員は怒り心頭で、懲戒委員会にかけられました。懲戒委員会の最後に「何か言う事はありますか?」と問われて「懲戒事由とされた問題について、現場が一人でも『その通りだ』と言うのであれば、私は処遇を喜んで受け入れます。現場で事実確認をしてください」と、言った直後に決を採ることになりました。「降格に反対の方は挙手をお願いします」となった時に2人だけ挙手してくれました。その一人が加藤前社長でした。その場の雰囲気は四面楚歌だったのですが、その中で挙手して頂いた事は忘れられない想い出ですね。

DMM:まるでドラマのようなお話ですね。挙手されたお二人の勇気とその恩は、一生忘れられないですね。

沖社長:そうですね。ただ、懲戒委員会での懲戒事由そのものは濡れ衣なのですけどね(笑)まあ、仕方がない部分もあったと思います。そして、納得できないので退職しようと考えていた矢先に、本部の方が当時のオーナー社長に面談の機会を与えてくれたのです。その際にオーナーに事実を伝え、このままではネット カジノ 換金が駄目になるということを伝え退職しようと思いました。実際に面談すると、オーナーは何も言わず黙って私の話を最後まで聞いてくれました。話を聞き終えると「俺のところに来い、経営を教えてやるから」とひとこと声をかけられました。経営を教えてやるとはどういうこと?と思いましたが私にはそれがキラーワードでした。雷に打たれたような衝撃で、「はい、わかりました」と答えるより他なかったです。そして、退職するつもりの面談から次の日には、お茶出し、電話の取次ぎ、スケジュール管理など普通の秘書の仕事を始めました。

DMM:オーナーの一声で今の沖社長がいると考えると、人の縁や運命的な事を感じますね。

沖社長:本当にその通りですね。それからは秘書として取締役会と経営会議の設営も行い、会議の議事録もつけはじめましたが、その経験を積み重ねていくことで「ネット カジノ 換金経営とはこういうことか」と、とても勉強になりました。また、資産が海外にあり、そのレポートを翻訳して提出する仕事もしていたのですが、日本の会計とアメリカの会計が全く違っており、税務や会計に興味を惹くきっかけにもなりました。当然、間違ってはいけないので、英文財務諸表の本を買っては勉強の繰り返しです。また会議の中で色々疑問に思う事も出てきたり、営業部長の報告を聞いて店長が正しく評価されないのではないかと感じて、会計上店舗を公平に評価する仕組みについて管理会計の資料を作成し、提案しました。ある時、オーナーが「こういった分析資料が欲しい」と言った時に、上司だった方を通してその資料を会議に提案しました。その資料を見て、オーナーが「これはいいな」とおっしゃってくれて、それ以降会議で発言を求められるようになりました。気づいたら、事務局の私が意見を求められるようになり、現場を知らない方が多い中で現場を知っている強みを活かすことができました。

DMM:退職の崖っぷちからの思わぬ重用ですね。経営に触れる事で流れが変わった、ということですか。

沖社長:今思い返せば、当時の私にとっては環境やタイミングが良かったのかもしれません。また、時代的にもパチスロが4号機から5号機に替わるタイミングで、これからは機械が重要だと考える時期でした。会議でPL(profit&Loss=損益計算)の話はよく出ていましたが、BS(Balance sheet=貸借対照表)を踏まえた分析が十分できていない状況でしたそして、英文財務諸表ではPLもBSも一体としてとらえたCF(キャッシュフロー)が前提なので、そもそもの考え方が違うなと思い始めて、不良資産や機械の対応をなんとかしないとネット カジノ 換金が大変なことになると起案しました。機械の購入から売却、廃棄、資金調達、会計、物流を一元化した部門を作った方が良いですと企画書を提出したのです。では、その部門を誰に任せて運営するか?となった時に、起案した私に白羽の矢が立ち、5号機に移行するタイミングを見据えてネット カジノ 換金が回るように対策しました。その後遊技機部門の目途が立ち、資金調達や事業証券化などの対応も行う事となりました。当時は毎週資金会議もあり、今月1億足りない、2億足りないなどの話になり、加藤前社長と共に各取引先に頭を下げにまわったりしていました。資金調達では、返済できない場合には私をそのネット カジノ 換金に引き取るという冗談話で資金援助を頂いたりして、そういった風にお金を貸して下さるという器の大きな方もいるんだと今でも感謝しています。

DMM:沖社長の人柄が買われたのですね。資金というシリアスな局面で、面と向かってそのような話をされるというのは、それだけ信頼されていた証ですね。

沖社長:その後、銀行との取引条件で外部のコンサルティングネット カジノ 換金を入れて事業計画を策定する事になり、経営企画室室長として外部の方との仕事の比重が増えました。その結果として、自社を俯瞰で見られるようになったことも大きな転機だと思います。もともと新卒で他のネット カジノ 換金の勤務経験がありませんので、新しい角度での見かたができました。同時にネット カジノ 換金が潰れてしまうという恐怖心がありましたが、当時の社内では新しく難しい仕事を受け入れてもらえない雰囲気もあり、自分がやる以外の選択肢しかありませんでした。その後も資金のリスケ(リスケジュール)などもあり、社内でトップへの批判や他責の声も上がったり、退職者が出たりと混乱する時期がありました。そういった批判や他責で退職される方は外部から来た中途採用の方が多く、中途採用をやめて新卒やプロパーを中心にした社内育成に変えていきました。

DMM:今も中途採用はしない方針なのですか?

沖社長:基本的にはその方針です。ただ、情報を外から取り入れるのは必要だと思っていて、社長になる前も他社さんに話を伺いに行ったり勉強させて頂きにも行っています。

DMM:最年少でエリアマネージャーまで上り詰めて降格されてから、紆余曲折色々な経験をされたのですね。

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沖社長:そうですね、感覚だけの判断に頼らず最後は数字で見える化した上で合理的な判断をするという面では営業も財務も同じだと思います。ただ、パチンコ営業は遊技機入替やチラシなど多額の集客コストを使って多くのお客様を集める「モノを媒介して人を集める」マスのビジネスですが、資金調達は1対1のビジネスです。パチンコ営業で慣れていた中で、1対1の交渉で0という結果が多くある仕事も経験できたことはバランスが良かったと思います。物事がうまくいきすぎると初心を忘れがちですので、苦労したことは良い経験だと感じています。「1円稼ぐ仕事も、1円借りる仕事」もどちらも大変ですが、資金調達をする中で心がけていたのは、担当者が稟議を上げる中で上司や審査サイドから質問の出ない資料を作って渡そうと思っていました。相手の銀行のスタンスやどのような事を求められているのか、相手の立場に立った時にどうするべきかを考えて行動することでおのずと鍛えられたと思っています。特にオーナーの秘書という緊張感のある仕事を経験した事が良い経験になり、自己成長に繋がったと思っています。

DMM:お話を伺っていると、経験は買えない財産だと改めて痛感できますね。2021年6月に社長に就任されていますが、この時期での社長就任のタイミングやその経緯についてお教え下さい。

沖社長:元々オーナーが社長業を交代された時に「社長の任期は10年、組織は若い方が良い」と仰っていましたし、加藤前社長も就任時に、「僕は10年だから」と仰っていました。加藤前社長が就任された当時に私も一緒に資金繰りで動いていたのですが、その時に「沖君、次は頼むよ」と言われて、今思えば当時は本気で言われたのかはわかりませんが、その時の言葉で、(自分が)社長になったらどのようにするのか、という意識を少し持つようになりました。その後、ダイナムグループの一員になるなど色々変化もあり、加藤前社長が60歳、ネット カジノ 換金も50年の節目を迎えるタイミングというのが契機です。

DMM:加藤前社長も当時から信頼されていたのだと思います。ただ、社長に就任された時期がコロナ禍のタイミングで大変でしたね。

沖社長:そうですね、加藤前社長は50年の節目という事も踏まえて祝いたいというお気持ちもあったようですが、コロナでしたので粛々と交代することになりました。

DMM:ホームページ上の社史や資料を拝見していると、創業時から企業としての「透明性」を推進し、ネット カジノ 換金の雰囲気も明るく風通しの良い社風に感じましたが、これからの組織作りで課題や目指す目標について教えて下さい。

沖社長:ありがとうございます。「透明性」や「明るい」という弊社へのイメージは、実質創業されたオーナーの人柄が出ている結果だと思います。ただ一方で、以前はオーナー依存度の強い、オーナーに向いて仕事する社員が多い傾向が強かったと思います。今はダイナムのグループに入り、第二創業ではないですが個々の社員がネット カジノ 換金の代表であるという自覚を持った自立した社風にならないとダメだと考えています。依存性が強く、受け身になっている社風を前向きに主体的に自分ごとに捉えられて行動する社員を育てていくことが私に課せられた使命だと思っています。また仕事に対する姿勢として、反対されると諦めてしまうことは良くないと思いますね。ダメと言われた時からがスタートで、簡単にできることは仕事ではなく作業なので、そのような面を改善していくためにどのように関わればよいかを考えます。そうすると大きな目標を立てる、将来を創造するということも必要で、取り組んでいきたいと考えています。

DMM:諦めてしまう人がいるという事は、ひとつの方法以外にも違う方法や方向など手段や品を変えて挑戦していく力を養うという事でしょうか?

沖社長:そうですね、言い換えると「目的主義であって欲しい」ということです。目的は新しい価値を生み出した時の未来の到達地点じゃないですか。ここに到達するための手段はいくらでもあります。ただその目的地点を上げるのも下げるのも自分自身です。目的地点に到達するために因数分解して時系列で組み立てていくと幾つかの目標が定まり、その目標を実現するために行動していく訳です。自分の可能性を信じるということは未来の到達地点を高く保つことになりますし、いくつかの目標に対して取った手段がうまくいかなかったことも振り返ることで肥やしになります。ただ、ともすれば手段を先にあげて、それに対して意見をされると「考える思考が停止してしまう人」が、ままいます。その原因は「手段に固執しすぎてしまう」からで、そもそも目的自体が強く考えられていないケースも多くある様に思います。そうなると基準もないので反省もできない、やったことを正当化してしまう。つまり重要な意思決定ができなくなると思います。

DMM:なるほど、目的主義というのは奥が深い考え方ですね。沖社長が今お考えになっていることを、一番近くで伝えているのが経営企画室になるのでしょうか?

沖社長:経営企画室だけでなく、部門長や課長を含めてですね。重要なのは彼らからあがってくるものに対して、それが何のため、どこを目指すのかについて確認します。「とにかくやりたい」と起案は多いのですが、現在は社会や業界が高度成長期ではないので、とにかく行動すれば良いという時代ではありません。著しい環境の変化の中で、本質的課題設定が正しくないと余計に時間がかかったり成長に繋がらないムダが増えます。また、最初は合っていると思っていた目標も動いているうちにズレが生じることもあり、その時に軌道修正をかけなければなりません。目標意識が低いと環境変化の多様性に対する耐性がないので、対応ができなくなってしまします。お客様ニーズも、事業環境も法律もどんどん変化していきますし、本来その仕事はどこに向かうべきなのか、何のためにやるのか、それに対する自分の存在価値は何なのかを常に考えられるといいですね。

DMM:私の上司もよく言っていることですね。目標意識の共通化・平準化というのも多くの組織で課題だと思います。続いて、夢コーポレーションでの人材募集について伺いたいのですが、新卒採用やカムバック採用などを積極的に行っているようですが、求める人材についてお聞かせ下さい。

沖社長:まず社是の中で経営理念と「五常の徳(ごじょうのとく)を掲げています。「五常の徳」は「仁・義・礼・智・信」なのですが、その中で「仁」は思いやりの心です。自分を大切にできる人は、他人も自分の事のように大切にできます。それが素養として備わっている人とは一緒に仕事をしていて楽しいですね。その素養をもっている上で自分の人生を主体的に生きられる人、自分を信じて成長させられる人で、出身大学や男女年齢は関係ありません。

DMM:ありがとうございます。自分を信じるということは簡単そうで難しい課題ですね。続いて今後の事業展開、パチンコ事業以外での計画・構想などがあれば教えて下さい。

沖社長:基本的にはダイナムグループとして飲食や保険の代理店業などの事業も行っていますので、パチンコオペレーターとしての事業を推進していきます。ただ、個社として検討していきたいのはパチンコに派生したことで、働き方の多様化についての取り組みです。例えば、店舗で副店長をやり続けるというのは厳しいという社員もおり、違う仕事・役割があっても良いと思っています。社内の人事制度設計としては役職を登り続ける一本道しかない状態ですので、店長のポストが空かなければ処遇も変わりづらい。それなら、お店が良くなることについて、外部に委託している専門性の高い仕事を、その方が習得して店舗への貢献ができるのであれば、そのような道を作りたいと考えています。

DMM:例えばそのお話ですと、清掃業務などでしょうか?

沖社長:日常や時間外清掃は自社で行っていますが、他に外部委託していることに関して内製化していける事があればと考えています。家族の状況で転勤が厳しい方には、通勤可能な拠点から複数店舗の環境整備業務をしてもらう等、新しい働き方のチームを作っています。働き方の多様化に合わせた役割・仕事を作っていくのも経営者として必要だと思っています。

DMM:新しい働き方改革と言えそうですね。続いて、沖社長のコメントで「100年続く企業へ成長させることを誰よりも願い努力している」について、具体的な事例があれば教えて下さい。



SLOT・CLUB YUMEYA2023年8月10日にリフレッシュオープンした
「SLOT・CLUB YUMEYA 石堂店」より展開しているブランドのロゴ。

「スロットでもっと楽しさを!!!」をテーマに掲げており、新しい取組のひとつだ

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沖社長:パチンコは遊技台や稼働という数値に注目しがちですが、私はビジネスの中心はお客様であるべきで、また社員であるべきだと思っています。コロナの影響で加速していくのがヒューマンセンタードという考え方で、顧客をマスで捉えるというプロダクトアウトやマーケットインという時代から個々の人間主体のサービスという時代になっていくと考えています。例えばスマートフォンでも自分の好きな情報が集まるようにAIでカスタマイズされることで個々の満足度は高まります。1人ひとりへの対応が5年、10年であるいはもっと短い期間で社会の要求は変わってくると思います。AIも含め、技術革新が進めば個々にフォーカスしたビジネスが発展していくだろうと想像していくと、その考えに基づいた経営や人材育成をしていかないと社会から求められる事とズレていくという危機感を持っています。夢コーポレーションは今53年目ですが、100年以上続くネット カジノ 換金にしていくためにはお客様一人ひとりのニーズに対応していく組織として同じ方向を向いて仕事をしていく必要があり、それがひいては、業界に対する課題解決に向かっていくと考えています。

DMM:具体的に店舗を構えている中で、お客様一人ひとりの接客強化以外に何か方法をお考えですか?

沖社長:いえ、顧客満足こそが原則 です。会員募集をするにしてもすでに会員の方に声をかける失敗をしないことだとか、会員になってくれた方が次に来店してくれた時にきちんと記憶しておいて、「ありがとうございます」と声をかけられると嬉しいじゃないですか。お客様は会員募集の対象ではなく、一人ひとりの「個」を認識した対応が必要だと考えています。会員獲得したことが離反要因にならないようにしなければならない、再来店のきっかけにならなければいけないと考えています。一流のホテルマンは、顧客名簿が頭の中に入っているという話を聞きますが、そこを目指して諦めない事も大事だと思います。将来はお客様が有意義に過ごせる、入店から退店まですべての動作が止まらない、快適に動ける、お待たせしない事が大事だと思います。それを解決するためには先ほど話した多角化の中での専門チームがいて、クレンリネスもそうですし、正常で快適に機器が動作する状態を維持するチームも必要です。その人たちの働き方が解決の手段になるかもしれません。その為にお客様の視点をもって課題の設定、お客様の気づいていないことも気づいて、解決する思考を持ち続けないといけませんし、その価値観をもった組織を作りたいと思います。それが実現すれば企業は100年続きますし、その組織ならパチンコであれ、他のビジネスであれどんなことにも通用すると思います。

DMM:ありがとうございます。パチンコ業は娯楽の時間という無形のサービスを提供する業種ですから、きっと物販であれ、流通業であれ組織力があれば他の業態にも通用しますね。

沖社長:そうですね。永続する企業の前提は何かという中で、社会の課題解決をするのがネット カジノ 換金だと考えています。パチンコが提供する価値は余暇ですので、お客様が快適な余暇を過ごしたいという中で、パチンコという手段を選択されていると思います。そこでどのように快適な時間を過ごしたいのか、という本質を捉えて、顧客の支持を集め、それが収益になるという考えで経営していかないといけません。ネット カジノ 換金経営は、利益至上主義になってはならないと考えています。目先の利益も当然必要ですが、その利益をどう活かしていくのか顧客視点で考え、顧客満足を提供するために自己成長ができる人材育成が必要だと思っています。ネット カジノ 換金におけるシステムとは人づくりに尽きると思っていますので、その本質をブレずに追求していく、社会の課題、余暇の過ごし方の提供価値を改善し続ければ、稼働の高い店づくりができるはずです。稼働が高いというのは、お客様の満足で溢れている状態ですから、そこを目指してワクワクして仕事のできる環境にできたら最高だと思います。



DMM:ありがとうございます。今でもそのワクワク感を忘れていないことがお話を伺っていて伝わりました。
今後の働き改革を楽しみにしています。

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夢コーポレーションの看板娘、YUMEちゃん

アルバイトからパチンコ業界、ダイエー観光時代からの夢コーポレーションという同社の黎明期から現在まで、隅から隅まで知りつくしている沖社長。
キャベツを食べていた赤貧時代から、店長になることを志し、最短最年少でエリアマネージャーに登り摘め、急転直下。

振り出しに戻りつつ、経営を学んで再び上り詰めた先はネット カジノ 換金の長と、まるで人生ゲームのような波乱万丈の半生に時を忘れて聞き入ってしまう。

「五常の徳」で話された「仁」、人への思いやり、人を育てる事の重要性は松下幸之助の「事業は人なり」に通ずるものがあると感じる。

酸いも甘いも嚙み締めた沖社長だからこそ、その引き出しの多さや話の重厚さがリアルに伝わる。

多様化時代、夢コーポレーションではこれからも人の働き方を時代のニーズにあわせ、誰もが適材適所で働けるワクワクする環境になるに違いない。

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